ディスクゴルフのゴールは、金属のかごの上に鎖が何本も下がった形をしています。投げたディスクが鎖に当たって勢いを失い、下のかごに落ちる。いまでは当たり前のこの形は、ひとりの発明家が考え、特許を取ったものです。
今回は、ゴール(バスケット)がどう生まれたのかを、発明した人が立ち上げた会社 DGA(Disc Golf Association)の公式サイトと、アメリカの特許の記録からたどります。
ゴールがなかったころ
DGA の公式サイトは、初期の遊び方をこう書いています。「初期の試合では、木、ごみ入れ、街灯の柱、金網のかご、パイプなどを的にしていた」。
つまり、決まったゴールはありませんでした。その場にあるものを的にして、当てるまでの回数を数えていたわけです。
考えた人:「Steady」Ed Headrick
ゴールを考えたのは Ed Headrick(エド・ヘドリック、1924 年 6 月 28 日〜2002 年 8 月 12 日)です。DGA の公式サイトによると、おもちゃの会社 Wham-O で研究開発の責任者まで務めた人で、フリスビーの形を作り直したことで知られます。フリスビーを投げる腕前から「Steady(安定した)」というあだ名が付きました。
アメリカの特許の記録では、Headrick を発明者とする「Flying saucer(空飛ぶ円盤)」の特許(US 3,359,678)が 1965 年 11 月 1 日に出願され、1967 年 12 月 26 日に登録されています。権利を持ったのは Wham-O です。文書には「凸の側の縁の近くに、同心円状の段を設ける」と書かれています。
DGA の公式サイトによると、Headrick は「Disc Golf」という言葉を作って商標にし、1976 年に息子の Ken Headrick と DGA を立ち上げました。PDGA(プロディスクゴルフ協会)を立ち上げたのも Headrick です。
世界で最初の常設コース
DGA の公式サイトによると、1974 年に Headrick はロサンゼルス郡の公園の担当部署へ、常設のディスクゴルフのコースを作る話を持ち込みました。公園計画の担当者がこの話に乗り、選ばれたのがオークグローブ公園です。公式サイトは、ここを「世界で最初のディスクゴルフのコース」と書いています。コースは Headrick と郡の担当者が一緒に設計して作りました。
ただし、このときのゴールは、地面にコンクリートで立てただけの柱(Pole Hole)でした。
56 の試作と、鎖
DGA の公式サイトには、Headrick 本人のものとみられる言葉が載っています。当てたディスクをどう止めるか考え直し、「56 の試作のあとに」たどり着いた答えが鎖だった、というものです。鎖については「壊れない、しなやか、心地よい音がする」と書いています。
DGA の公式サイトによると、1976 年、Headrick は柱だけのゴールを、最初の「DGA Disc Pole Hole」に取り替えました。鎖でディスクを止める、最初のゴールです。形は「上向きに開いたかごの上に、10 本の鎖を放物線の形に下げたもの」と説明されています。
特許の記録
アメリカの特許の記録では、このゴールの特許(US 4,039,189・題は「Flying disc entrapment device」)は、Edward E. Headrick と Kenneth A. Headrick の 2 人を発明者として、1976 年 4 月 19 日に出願、1977 年 8 月 2 日に登録されています。
要約には、飛んできたディスクの勢いを吸い取って前へ進むのを止め、ゴールで受け止めるためのもの、という仕組みが書かれています。鎖が下がっている理由は、この一文にまとまっています。
なお、DGA の公式サイトの中でも、この特許の年は「1975 年に登録」「1977 年に作った」とページによって書き方が分かれています。この記事では、特許の記録にある出願日・登録日を載せました。
灰をまぜたディスク
Headrick は 2002 年に亡くなりました。DGA の公式サイトによると、本人の望みで、遺灰は数の限られた記念のディスクにまぜ込まれました。そのディスクは、Headrick を記念するディスクゴルフの博物館を作るために使われたそうです。
ゴールの鎖を見てみる
次にコースへ行ったら、ゴールの鎖を少し眺めてみてください。柱に当てていた時代から、56 の試作を経て、いまの形になっています。
国内のコースは、DiscPal の コース で探せます。回ったスコアもそのまま付けられます。